2008年6~8月<2008年6月に読んだ本>ダイアローグ ■著者:デーヴィド・ボーム/金井真弓 ■英治出版 ■2007/10発行 シンクロニシティと同じような時期に出版されて、 互いに広告しあってたので、ちょっと興味を持って読んでみました。 『愛があればすべてうまくいく』と言う人がいる。 だが残念ながら、すべてを救う愛は存在しない。 だから、もっと良い方法を考えなければならないんだ。 という謳い文句にもひかれた。 シンクロニシティもそうだけど、 英治出版には、本文の中から一番人がグッとくるようなフレーズを抜くのが、 天才的にうまい人がいるんだと思うわ。 で、この本についてなんですが、内容以前にとにかく読みにくい。 ここまで読みにくい本って、ホントに久しぶりです。 理由は改行の少なさと、翻訳レベルの低さにあると思うんですが、 (ということは推敲レベルの低さもあるということか?) どうなんでしょう? それとも一冊の本としてまとめるには、最初から無理があったのか・・・。 自論の受容を相手に強要しない。それが対話。 昨日、キムタク総理がアメリカの偉い人に言ったようなことに近いのかも。 (今日は6月10日) ああ、でも結論も何も求めないのが対話だそうだから、少し違うか。 <自分のための抜書き> 我々が作るべき、あるいは発見すべき必要性という概念についてはどうだろうか? たとえば、画家がキャンバスに気まぐれに色を塗っただけだとしたら、 それは何の意味もないものだと見なされるだろう。 また、他人の必要に応じた注文に従うだけの画家なら、二流である。 画家は自らの必要に応じて創造しなければならない。 画家が描くさまざまな作品が、内なる必要性から生まれたものでなければ、ほとんど価値はないのである。 この芸術的な必要性とは、創造的なものだ。 こうした創造的な芸術を生む芸術家には自由がある。 したがって、必要性という新たな秩序を創造的に認識できるようにするのは、自由であることだ。 これができなければ、真の意味で自由とは言えない。 望むことは何でもやっているし、それが自分の衝動なのだと言う人もいるだろう。 だが、人の衝動というものは思考から生じると私は思う。 たとえば、あるものが必要だという考えから衝動が生まれるとする。 そして対立している国同士の国民が、 戦争に行って邪魔な相手を始末することが自分たちの衝動だ、と言うとしよう。 まるでそんな行動が自由を意味するかのように。 しかし、これは間違いである。彼らは自分たちの思考に駆り立てられているだけだ。 とにかく、自分の好みに従って行動することが、自由である場合はめったにない。 人が好むものは、考えた事物によって決定されるし、それは決まりきったパターンである場合が多いからだ。 そのため、我々には新しい方法でグループを動かすための、創造性が必要である。 そうしたものを見つけるのは個人でも、あるいは集団でもできる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 怒りや暴力、恐怖-こうした感情はすべて保留状態にできるのである。 1の力を10倍にするアライアンス仕事術 ■著者:平野敦士カール ■ゴマブックス ■2008/6発行 |